東京高等裁判所 平成2年(行ケ)213号 判決 1993年3月30日
原告 日本臓器製薬株式会社
被告 明治製菓株式会社
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 原告
「特許庁が昭和五五年審判第二〇四五六号事件について平成二年六月二一日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決
二 被告
主文と同旨の判決
第二請求の原因
一 特許庁における手続の経緯
被告は、指定商品を第一類「抗生物質及び抗生物質製剤」として、「マスチマイシン」の片仮名文字を左横書きしてなる登録第一四〇二九九六号商標(以下「本件商標」という。)について、昭和三七年一一月一九日に登録出願し、同五四年一二月二七日に登録を受けた商標権者であった(平成元年一二月二七日存続期間満了により消滅、同二年四月一八日抹消登録)ところ、原告は、昭和五五年一一月一四日、本件商標の登録を無効とする旨の審判の請求をした。特許庁は、右請求を同年審判第二〇四五六号事件として審理した結果、平成二年六月二一日、右請求は成り立たない、とする審決をした。
二 審決の理由の要点
1 引用商標1ないし7の構成等
引用商標1(「MASTCHIN」の欧文字を左横書きしてなる登録第三四六九七〇号商標、指定商品、旧第一類「化学品、薬剤及び医療補助品」、昭和一五年一二月一七日登録出願、同一六年一〇月八日登録、同三六年一〇月八日存続期間満了、同四〇年六月二五日抹消登録)引用商標2(「ビタミンマスチゲン」の片仮名文字を縦書きしてなる登録第三五三三〇五号商標、指定商品、旧第一類「『ヴイタミン』ヲ含有セル丸薬、錠薬、粉末薬」、昭和一六年七月三日登録出願、同一七年七月二〇日登録)
引用商標3(「VITAMASTIGEN」の欧文字を左横書きしてなる登録第四〇八〇〇〇号商標、指定商品、旧第一類「化学品、薬剤」、昭和二五年四月一七日登録出願、同二七年二月一一日登録)
引用商標4(「mastigen B12」)の文字と「マスチゲンB12」の文字をアンダーラインを挟んで二段に横書きしてなる登録第四一三六九〇号商標、指定商品、旧第一類「『ヴイタミン』B12製剤(丸薬、錠薬、粉末薬)」、昭和二六年二月一二日登録出願、同二七年七月一五日登録)
引用商標5(「methio・mastigen B12」の文字と「メチオマスチゲンB12」の文字をアンダーラインを挟んで二段に横書きしてなる登録第四五三七〇四号商標、指定商品、旧第一類「『ヴイタミン』B12製剤(丸薬、錠薬、粉末薬)」、昭和二七年一二月二五日登録出願、同二九年一〇月一九日登録)
引用商標6(「マスチゲン」の片仮名文字を左横書きしてなる登録第六三四〇八五号商標、指定商品、第一類「化学品、薬剤及び医療補助品」、昭和三六年一一月四日登録出願、同三九年一月一四日登録)
引用商標7(「マスチゲン」の文字を縦書きしてなる登録第三四五二五三号商標、指定商品、旧第一類「化学品、薬剤醫療補助品」、昭和一五年七月九日登録出願、同一六年八月二日登録、同三六年八月二日存続期間満了、同四〇年七月五日抹消登録)
2 本件商標と引用商標2ないし7(以下「本件各引用商標」という。)との類否及び混同のおそれ等
(一) 引用商標1が本件商標の登録出願時、請求人(原告)の「増血栄養剤」の商標として周知となっていたことの立証はない。
(二) 本件商標は、その構成より「マスチマイシン」又は「マスチ」の称呼が生ずる。
(三) 本件各引用商標は、いずれも「マスチゲン」、「MASTIGEN」、「Mastigen」の各文字を要部とするところ、「ゲン」又は「GEN(gen)」の文字を商品の標識として機能する文字の末尾に付した薬品名が取引上、同末尾部分を省略して呼称されるのが慣例であることを認めるに足る証拠はなく、さらに、とりわけ冗長なものとはいえない「マスチゲン」が二音節の構成からなるものともいい難いものである。また、「マスチゲンB12注」が「マスチB12」と略称することが公的に認められているものであり、かつ、「B12」が「ビタミンB12を意味するものであるとしても、誤用を最もおそれ可能な限り正確な呼称が必要とされる医薬品について、その構成の際に、「マスチB12」が単に「マスチ」と略称されて使用されているとは考えられず、これを認めるに足りる証拠もないから、「マスチゲンB12注」の診療報酬請求手続上の略称である「マスチB12」がさらに「マスチ」と略称されるものと認めることができない。
そうしてみると、本件各引用商標より殊更「マスチ」、「MASTI」、「masti」の部分を抽出して観察しなければならない格別の事情が存するものとも認められないので、これらの各引用商標は各構成文字に相応して、全体として一連の称呼を生ずるとともに「マスチゲン」の称呼をも生ずるものと認められ、「マスチ」の称呼が生ずるものとは認められない。
そうすると、本件商標と本件各引用商標とは、相違する各音の音構成の差異等により称呼上充分区別し得る別異の商標であり、いずれも造語であるから観念において比較するまでもなく、それぞれの構成よりして、外観上も相紛れるおそれはない。
してみれば、本件商標と本件各引用商標とは、称呼、外観、観念のいずれの点からみても非類似の商標といわざるを得ない。
3 本件各引用商標が、商品である「増血、栄養剤」について著名だとしても、本件商標と本件各引用商標が前述のように全体として明らかに別異のものと判断される以上、本件商標をその指定商品に使用するも、請求人(原告)又は同人と何らかの関係を有する者の取扱いに係る商品であるかの如く商品の出所について混同を生ずるおそれはない。
4 したがって、本件商標の登録は、商標法四条一項一〇号、一一号及び一五号に違反するものとはいえないから、同法四六条一項一号により無効とすることはできない。
三 審決取消事由
審決の理由の要点1は認める。同2、(一)、(二)は認める。同2、(三)のうち、本件各引用商標が、「マスチゲン」、「MASTIGEN」、「Mastigen」の各文字を要部とすること、「マスチゲンB12注」を「マスチB12」と略称することが公的に認められており、「B12」が「ビタミンB12」を意味するものであること、及び、本件商標と本件各引用商標とが外観上相紛れるおそれがないことは、いずれも認めるが、その余は争う。同3、4は争う。審決は、本件各引用商標から「マスチ」の称呼が生じ、同一称呼を生ずる本件商標と混同を免れないのに、「マスチ」の称呼が生ずることを否定し、また、観念においても類似するのにこれを看過して類否の判断を誤り、また、「マスチゲン」の商標の周知、著名性を看過して本件商標を付した商品が原告の業務に係る商品を表示するものと混同を生ずるおそれがあるのにこれを否定した点において違法であるから、取消しを免れない。
1 商標法四条一項一〇号及び一一号違反(取消事由(1) )
審決は、本件各引用商標から「マスチ」の称呼は生じないとするが、右認定判断は以下に述べるように誤っている。すなわち、
まず、審決は、「ゲン」又は「GEN(『gen』)」の文字を商品の標識として機能する文字の末尾に付した薬品名が、取引上、右末尾部分を省略して称呼される慣例が存在することを否定しているが、誤りである。「ゲン」又は「GEN」若しくは「gen」の文字を商品の標識として機能する文字の末尾に付した医薬品名は、別紙第一表及び第二表記載のとおり、本件商標の出願時及び査定時において、極めて多く存在し、特に商品の標識として機能する文字の部分(語幹部分)が三文字以上のものにおいては、取引上、右末尾部分を省略し、その語幹部分をもって称呼されるのが古くからの慣例であり、現に本件各引用商標に係る各商品は「マスチ」として称呼されてきたのである。これは、化学の分野において名詞語尾「-gen」は「……を生じるもの、発生させるもの」の意味を表す接尾語として、日本語の「元」、「源」、「原」と発音及び意義を共通にするものとして、化学、医学、薬学関係の用語に多用されてきたものであり、これを各引用商標の「マスチゲン」についてみると、「増血を生じさせるもの」の意味を生ずるものとして医薬品に相応しい名称となるものである。この結果、「ゲン」、「GEN」又は「gen」の文字を商品の標識として機能する文字の末尾に付した医薬品名、特に商品の標識として機能する文字の部分(語幹部分)が三文字以上のものにおいては、本体である商品の標識として機能する部分と末尾に慣用的に付して使用される部分の音節を分けてその称呼の構成が認識され、慣用的に付して使用される「ゲン」等の末尾部分が省略され、語幹部分のみをもって称呼されることが古くからの慣例となっているものである。したがって、審決の「『マスチゲン』が二音節の構成からなるものともいいがたい」との判断も誤っていることは明らかである。ところで、原告の製造・販売に係る「マスチゲンB12注」なる注射薬については、昭和三一年から同五九年まで、健康保険の診療報酬請求及び支払事務の手続上、これを「マスチB12」と表示することが公的に認められるという異例の取扱いを受けてきた。これは、一般の病院及び開業医において、「マスチゲンB12注」のみならず、「マスチゲン」の文字を含む商品名を付した原告の製造・販売に係る医薬品を「マスチ」と略称する実務慣例が古くから存在することを考慮し、これを取り入れて前記のような取扱いになったものであり、「マスチ」の略称がいかに広く定着していたかを物語るものである。
なお、仮に、前記慣例の存在が認められないとしても、「マスチ」の略称を生ずる可能性があれば、その可能性を生ずる部分について商標の類否を論ずることが許されることは、「商標審査基準」(甲第七三号証の二)からみても明らかであるところ、「マスチゲン」について「マスチ」と略称される可能性のあることは、「マスチB12」の例から充分に認められるところである。
次に、審決は、本件商標及び「マスチゲン」の両者共、造語であるから、観念において比較するまでもないとしているが、誤りである。すなわち、「マスチゲン」の語幹部分を成す「マスチ」は、「増す血」すなわち「増血」の観念を有する用語であり、かつ、昭和一四年以来、原告の製造販売に係る「増血・栄養剤」が「マスチゲン」の商標をもって販売されていることは、本件商標の登録査定時はもとより出願時においても、医薬品の取引業者及び需要者の間で周知、かつ、著名となっていたから、「マスチ」は「増す血」すなわち「増血」の観念を有する用語として、広く取引業者及び需要者に理解されていたのである。そうすると、かかる「マスチ」の文字が「増血」を観念するという取引環境の中で、「マスチマイシン」なる本件商標を使用した場合、両者は「増血」なる観念を共通にする商標として、取引者及び需要者に受け取られることは明らかである。なお、仮に、「マスチゲン」が造語であるとしても、既に述べたとおり「マスチゲン」は原告の製造・販売する「増血・栄養剤」の商標として著名であるから、その語幹部分である「マスチ」により「原告の製造・販売に係る増血・栄養剤」ないし「原告の製造・販売に係る商品」が観念・連想されるとともに、本件商標が使用される商品につき、その語幹部分であるマスチ」により原告又は原告と何らかの関係を有する者の取扱いに係る商品であるとの観念・連想を生ずるので、本件各引用商標と本件商標とは、観念において類似するものであり、審決の判断は誤っていることに変わりはない。
さらに、審決は、各引用商標から殊更「マスチ」、「MASTI」、「Masti」の部分を抽出して観察しなければならない格別の事情はないとするが、この点も誤っている。すなわち、既に述べたように、「ゲン」(又は「GEN」若しくは「gen」)は医薬品の商標において、数多く、ごくありふれて使用されている接尾語であり、この点は「マイシン」、「ポン」、「ミン」等も同様であるところ、かかる接尾語部は、医薬品の商標においてありふれて広く使用されているために、識別力が乏しく、かかる商標にあっては、接尾語部を除いた語幹部分をもって商品が観念・連想されるのが通常である。したがって、接尾語部を異にする商標であっても、その語尾部分がありふれて広く使用されているものである場合には、共通する語幹部分によって、観念を共通にする結果、その間に混同を生じるおそれがあることになる。してみると、いずれも「マスチゲン」、「MASTIGEN」、「Mastigen」の各文字を要部とし、末尾に接尾語部「ゲン」を有する本件各引用商標、並びに「マスチマイシン」の文字を要部とし、末尾に接尾語部「マイシン」を有する本件商標を各指定商品に使用した場合には、右語幹部分である「マスチ」の部分に、取引者・需要者の注意と関心がひかれ、右語幹部分をもって商品が観念・連想されることになることは明らかなところであるから、両商標は観念の混同を生ずることは明らかである。そして、本件商標及び本件各引用商標に係る指定商品はいずれも第一類の化学品、薬剤及び医療補助品の範囲内のものであって同一又は類似する商品に使用するものであるから、本件商標は登録商標である引用商標2ないし6と類似する点において商標法四条一項一一号に、また、周知商標である引用商標7に類似する点において同項一〇号に、それぞれ違反するものである。
2 商標法四条一項一五号違反(取消事由(2) )
「マスチゲン」の商標は、原告会社の代表的商品の商標として、また、原告会社自体をも直観させる商標として、本件商標の登録査定時はもとより出願時においても、医薬品取扱関係者、医薬品の需要者及び医療機関関係者の間に周知、著名であったことは、以下のとおりである。
(一) 原告は、甲第二八号証記載のとおり、昭和一五年から現在に至るまで、「マスチゲン」の名称を含む多数の医薬品を継続して販売している。これらの医薬品は、増血・栄養補給剤及び感冒薬であったことから、国民各層から、生活により身近な薬剤として愛用されてきた。なお、原告の製造・販売に係る「マスチゲンB12注」なる名称の商品については、昭和三一年から同五九年まで、健康保険の診療報酬請求の事務手続上、「マスチB12」と表示することが公的に許容されていたことは既に述べたとおりである。
(二) 原告は、日刊新聞、ラジオ、テレビジョン放送等で原告の製造・販売に係る医薬品の宣伝を、以下のように行ってきた。<1>終戦の翌日である昭和二〇年八月一六日付「毎日新聞」に「増血と栄養はマスチゲン錠」とする広告を掲載した、<2>昭和三〇年一月から同三八年三月までの間、「マスチゲン」の名称を含む医薬品の広告を朝日新聞に多数、かつ頻繁に掲載した、<3>昭和二九年末ないし同三〇年の初頃から同三二年まで、ニッポン放送をキー局として放送されたラジオ放送番組「ものまねノド自慢」の、引き続き二年間は、朝日放送をキー局として江戸家猫八司会の「マスチゲン・アワー。素人落語ノド自慢」の各スポンサーとなり、これらの番組を通じて「マスチゲン」の宣伝を行い、前者では人気落語家柳家金語楼を司会役に起用し、同人に「マスチゲン」のコマーシャルソングを歌わせた。<4>昭和三五年から同三七年にかけて日本教育テレビで、同三六年から同三八年には関西テレビで、同三七、三八年には朝日放送で、同四三年にはフジテレビで、同四七年には朝日放送で、それぞれ各種番組のスポンサーとなり、「マスチゲン」の広告、宣伝を行った。<5>原告は、電車の中吊広告、ポスター、カレンダー、宣伝バス等を使用して「マスチゲン」の名称を含む医薬品の広告・宣伝を行い、また、「会社概況」、「会社案内」、宣伝用リーフレット等においても同様な広告・宣伝を行っている。
(三) 「マスチゲン」の商標に関し、次のような事実がある。<1>特許庁監修、昭和三四年一月一五日発行の「日本商標大事典」の「有名商標集(Famous Trademarks)」の項の第一部門(化学品、薬品)中に、「マスチゲン」が有名商標として収載されているところ、同書の「有名商標集(Famous Trademarks)」の章の冒頭には「有名商標は、商標法による各商品種別ごとに、選定委員会にはかって決定したものである。」との記載がある。<2>特許庁編集、昭和四五年発行の「FAMOUS TRADEMARKS IN JAPAN」には、Famous Trademarkとして「マスチゲン」及び「Mastigen」が、同四七年九月五日発行の「新版日本有名商標録」には、右両商標が有名商標として収載されているところ、後者の「刊行のことば」には、「この『日本商標大事典』所収の『有名商標集』は、審査当局者によって選定された最初の有名商標公刊として、商標権防護のための広報媒体としても、商標管理の実務資料としても、その成果は高く評価されてきた。」、「本書に登載の有名商標の選出にあたっては、まず旧版『有名商標集』登載の有名商標について、いまなお有名商標に該当するものを関係方面の意見を徴して選び出した。」との記載がある。<3>昭和五一年九月二七日発行の「日本有名商標名鑑」及び同五五年一二月二〇日発行の「日本商標名鑑′80」にも前記二つの商標が収載されているところ、右各名鑑には「有名度が高く識別力の強力な、所謂著名商標といわれるものの多くが、これら(注、前掲「商標大事典」、「FAMOUS TRADEMARKS IN JAPAN」及び「新版日本有名商標録」を指す。)の中に含まれていることはもとよりであろう。しかし、これらの中には含まれていなくても、或は商品の優秀性の故に、或はマスコミ等による宣伝の力によって、ここ数年の間に彗星のように現われた有名商標もできるだけ洩れがないように収録されていることが期待されている。」と記載されている。
(四) 以上の(一)ないし(三)の諸事実からすれば、既に昭和三四年当時から、「マスチゲン」の商標は、原告会社の代表的商品を表すものとして、また、その商品を製造・販売している原告会社自体をも直観させるものとして、医薬品取扱関係者、医薬品の需要者及び医療機関関係者の間に周知、著名となったものであり、マスチゲンの商標は、著名商標としての評価を受けていたものであるばかりか、その後も、著名商標として確立した地位を保有していたことは明らかであるから、本件商標の登録出願日である昭和三七年一一月一九日当時及び右登録出願に対する査定日である同五四年四月一一日当時において、マスチゲンの商標は、原告会社自体をも直観させる商標として、周知・著名であったことは明らかである。
(五) そうすると、本件商標は、「マスチゲン」と語幹部分の「マスチ」を共通にするところから、本件商標に接する医薬品取扱関係者、医薬品の需要者及び医療機関関係者は、本件商標を付した商品が、原告会社の製造・販売に係る「マスチゲン」の名称を含む商標を付した医薬品の姉妹商品ないしはシリーズ商品であるかのように誤認し、又は原告会社自身又は原告会社と資本若しくは業務上何らかの密接な関係を有する者の製造ないし取扱いに係る商品であるかの如く誤認するおそれがあるものといわなければならない。
(六) 被告は、マスチマイシンは医師によって使用されるか、医師の処方せん若しくは指示によって使用される要指示医薬品であるから、商品の出所について混同を生ずるおそれはないと主張するが、以下に述べるとおり、失当である。すなわち、まず、要指示医薬品と同様の販売経路をたどる医薬品は何も要指示医薬品のみに限定されるものではなく、医療用医薬品として製造承認を受けた医薬品も同一の販売経路をたどるものである。そして、引用商標を使用する原告の医薬品のうち、医療用医薬品は別表第三記載の○印を付したものであり、これらはマスチマイシンと販売経路を同じくするものである。また、同表において○印の付されていない「一般用医薬品」は、製造業者から医薬品問屋、さらに薬局、薬店を通じて販売される。さらに、抗生物質製剤であっても、「薬事法四九条一項の規定に基づき医薬品を指定する件」(昭和三六年厚生省告示第一七号)(以下「告示」という。)一項柱書に定められたもの(例えば、軟膏のような外用剤)は要指示薬から除かれ、一般用医薬品として扱われる。このような抗生物質製剤は、「一般医薬品」を扱う調剤薬局でも販売されているから、引用商標を使用する原告の製造・販売する医薬品と右の「抗生物質製剤」とは、右の点で販売経路を共通にする。このように、「マスチマイシン」と、引用商標を使用する原告の製造・販売に係る医薬品とは販売経路を異にし、そのため商品の出所について混同を生ずるおそれがないとする被告の主張は、成立の余地がないものである。しかも、本件商標についての登録査定日である昭和五四年四月一一日当時においては、数えきれないほど多数の抗生物質製剤が八〇社にも及ぶ製造業者から販売されていたのであるから、製薬会社と商品名を識別するということは極めて困難であったのである。そして、医薬品の製造・販売・輸入等の監督官庁である厚生省から薬事法の運用について出されている昭和五五年四月一〇日薬発第四八三号都道府県知事あて厚生省薬務局長通知「薬事法の一部を改正する法律の施行について」によれば、厚生省は、医薬品の製造又は輸入の承認申請があった場合、その医薬品等の名称等が、他の医薬品との誤用、混同を招くおそれがあるとき、承認を拒絶する取扱いとすることが示されている。厚生省による右のような取扱いに照らしてみても、医薬品であれば、名称が類似していても混同のおそれがないとする考えをとることができないことは明らかである。また、医師の処方せんによる場合であっても、医師の処方せんは多くの場合走り書きである等の事情に照らすと、処方せんを受け取る薬局の担当者において、名称の類似する医薬品と誤認・混同する可能性を否定することはできないし、医師が処方せんの医薬品名を略称をもって記載する場合には、その可能性は益々大きいものといわなければならない。さらに、被告は、「マスチゲン(錠)」、「マスチゲン(末)」、「強力マスチゲン錠」、「マスチゲン-Fe錠」、「マスチゲンシロップ」等の数種類の「マスチゲン」を単に「マスチ」と省略して医師から指示が出ることは到底考えられないと主張するが、かかる場合には、「マスチ錠」、「マスチ末」、「強力マスチ錠」、「マスチFe錠」、「マスチシロップ」などの文字が付加されて識別可能となるのであるから、被告の右主張は失当である。
よって、本件商標は、商標法四条一項一五号に規定する商標に該当するから、同法四六条一項一号により無効であり、本件審決は取消しを免れない。
第三請求の原因に対する認否及び反論
一 請求の原因に対する認否
1 請求の原因一、二は認める。
2 請求の原因三、1のうち、末尾に「ゲン」の文字を付した薬品名を有する医薬品が別紙第一表及び第二表記載のとおり存在すること、並びに昭和三一年から同五九年までの間、健康保険の診療報酬請求及び支払の事務手続上において、「マスチゲンB12注」なる名称の注射薬を「マスチB12」と表示することが許容されてきたことはいずれも認めるが、その余は争う。同2のうち、同(一)の「マスチゲン」の名称を含む多数の医薬品が、増血・栄養補給剤及び感冒薬であったこと、「マスチゲンB12注」について前記のような診療報酬手続上の取扱いがされたこと、並びに同(二)及び(三)の各事実は認めるが、その余は争う。審決の認定判断は正当であり、審決に原告主張の違法はない。
二 反論
1 取消事由(1) について
原告は、「ゲン」又は「GEN」若しくは「gen」の文字を商品の標識として機能する文字の末尾に付した医薬品名、特に商品の標識として機能する文字の部分(語幹部分)が三文字以上のものにおいては、取引上、右末尾部分を省略し、その語幹部分をもって称呼されるのが古くからの慣例であると主張するが、かかる慣例の存在は認められず、原告の主張はその前提において失当である。
まず、かかる慣例の存在自体が認められない上、「ゲン」の末尾部分をも含めた全体が一体となって商標としての商品識別機能を有するのであり、かえって、「ゲン」等の末尾部分を省略するときは、商標とそれが使用されている医薬品を特定することができなくなるのであるから、この末尾部分が省略され、「マスチ」の称呼が生ずるという原告の主張は根拠がなく、本件各引用商標からは「マスチゲン」の称呼が生ずるものであるから、本件商標は引用商標2ないし6との関係において、商標法四条一項一一号に該当するとの原告の主張は失当であり、また、本件商標は引用商標7との関係において、同項一〇号に該当するとの原告の主張も失当である。
なお、原告は、健保請求手続における「マスチ」の略称について主張するが、右手続は、通常の商品取引の形態とはいえず、あくまで診療報酬請求手続上の便宜的な取扱いにすぎず、これをもってこのような略称が一般的であるとはいえない。しかも、右手続においては、「マスチゲンB12注」が「マスチB12」と略称された事実があるのみで、原告の「マスチゲン」の名称を含む貧血治療剤、増血・栄養・疲労回復剤、肝胃製剤、感冒剤などの多用途の薬剤の全てについて「マスチ」と略称されているものではない。このことからも明らかなように、右の「マスチB12」においては「B12」を付して使用することによりその注射薬であることを特定することが可能であることによるものである。すると、右手続においては「マスチB12」と略称されているもので、単に「マスチ」と略称されたのでは原告の医薬品を特定することはできないのである。
2 取消事由(2) について
仮に、マスチゲンが周知著名であったとしても、以下に述べるマスチゲンとマスチマイシンの取引の具体的実情における相違を考慮すれば、商標法四条一項一五号に該当するものでないことは明らかである。すなわち、本件商標に係るマスチマイシンはその名称の「マイシン」において抗生物質であることを示しており、かつ、その取引ルートは、抗生物質として「要指示医薬品」であるため、原告のマスチゲンを含む名称で販売された大部分の一般向薬品と異なり、医師によって使用されるか、あるいは医師の処方せん若しくは指示によって使用されるべきものとされていて、医薬品問屋などの取引者や一般需要者は、自主的に薬店の店頭では購入することができない点において根本的な相違があるのである(なお、本件商標の指定商品としては、具体的には、牛の乳房炎の治療薬としての抗生物質を予定していたところ、結局は、実用化されなかったものであるが、仮に右抗生物質が実用化されていたとしても、それが要指示薬であることに変わりはないのである。)。また、本件商標が出願された昭和三七年当時、抗生物質の生産・販売会社として認識されていた製薬会社は数少なく、医家向けの医薬品を取り扱っていた取引者であれば、それらの製薬会社と取引先との営業上の事情は互いに良く分かっていたはずである。それゆえ、マスチゲンがある程度広く知られていたとしても、「マスチマイシン」を「マスチゲン」の生産・販売者の業務に係る医薬品であるとの意識と購入動機をもって「マスチマイシン」を購入するなどということは現実に考えられないことである。
したがって、このような取引の実情を考慮すると、一般需要者が商品の出所について混同を生ずるおそれはないから、原告の主張は失当である。
原告は、「マスチゲン」シリーズ商品の中には、一般医薬品の他に「医療用医薬品」も存在すると主張しているが、これらの「医療用医薬品」は、医師による使用、医師の処方に基づく使用に限られる医薬品であることから、「マスチゲン(錠)」、「マスチゲン(末)」、「強力マスチゲン錠」、「マスチゲン-Fe錠」、「マスチゲンシロップ」等の数種類の「マスチゲン」を単に「マスチ」と省略して医師から指示が出ることは到底考えられず、ましてや抗生物質製剤である「マスチマイシン」と間違うということは考えられないところであり、原告の主張は現実の取引の実情を無視したものというべきである。
第四証拠<省略>
理由
一 請求の原因一及び二の事実は当事者間に争いがなく、本件各引用商標の各構成、指定商品及び出願経過等が審決の理由の要点1摘示のとおりであること、並びに本件商標から「マスチマイシン」又は「マスチ」の称呼が生ずることは当事者間に争いがない。
二 取消事由(1) について
本件商標と本件各引用商標が、外観において相違することは当事者間に争いがなく、原告は、本件商標と本件各引用商標は、称呼及び観念において類似するから、これを非類似とした審決の判断は誤っていると主張するので、以下、検討する。
1 本件商標と本件各引用商標の称呼の類否について
(一) 原告は、「ゲン」又は「GEN(『gen』)」の文字を商品の標識として機能する文字の末尾に付した医薬品名が、取引上、右末尾部分を省略して称呼される慣例が存在すると主張するので以下この点について検討する。
まず、本件各引用商標の要部である「マスチゲン」の語の由来について検討するに、いずれも成立に争いのない甲第六号証(昭和三四年一月一五日発行、特許庁監修・商標研究会編「日本商標大事典」)及び同第八号証(昭和四七年九月五日発行、商標研究会編「新版日本有名商標録」)の各一ないし五並びに同第九号証(昭和五五年一二月二〇日発行、商標調査会編「日本商標名鑑′80」)及び同第一八号証(昭和五一年九月二七日発行、商標調査会編集「日本商標名鑑」)の各一ないし四によれば、「マスチゲン」の名称は、「増血を目的とする医薬品」として「増血元」の語に由来するとの事実が認められ、他にこれを左右する証拠はない。
ところで、末尾に「ゲン」の文字を付した薬品名を有する医薬品が別紙第一表及び第二表記載のとおり存在することは当事者間に争いがなく、そして、各成立に争いのない甲第一九ないし二二号証の各一ないし三によれば、英語の「-gen」は、「……を生ずるもの、素」、「発生させるもの」等の意味を有するギリシャ語に由来する名詞連結形ないし造語要素であることが認められ、また、各成立に争いのない同第二三号証の一ないし一〇によれば、「アレルゲン〔allergen〕」(抗原物質)、「アンドロゲン〔androgen〕」(男性ホルモン)、「エストロゲン〔estrogen〕」(女性ホルモン様物質)、「キニノーゲン〔kininogen〕」(キニンの前駆体)、「グリコーゲン〔glycogen〕」(グルコースから成るホモ多糖であるグルカンの一種)、「コラーゲン〔collagen〕」(膠原質)等の名称の化学物質が記載されている事実が認められ、これらの名称における「-gen」はその有する各意義からすると、前記の造語要素である「-gen」であると認めることができ、また、日本語の造語要素である「源」、「原」、「元」が右造語要素と発音において類似するばかりか、その意味においても近似しており、また、右の意味から、栄養剤等の医薬品の名称に親しみやすいものであることは明らかというべきである。そうすると、右に列記した化学物質と同様に化学物質である前記の別紙第一表及び第二表記載の各医薬品の名称における末尾の「ゲン」も、前記の造語要素である「-gen」及びこれと発音及び意味において類似する「源」、「原」、「元」に由来するものと推認することができ、他にこの推認を妨げる証拠はない。そして、前記認定のとおり、「マスチゲン」の名称は、「増血元」の語に由来するから、以上によれば、「マスチゲン」は、「増血」に由来する「マスチ」を語幹部分とし、これに接尾語として前記の造語要素である「元」を結合して作られた造語であるということができる(但し、前記の造語としての意味するところを取引者、需要者が理解していたか否かは別問題であり、この点は後に検討する。)。
ところで、原告は、上記のような意味を有する「ゲン」又は「GEN(『gen』)」の文字を末尾に付した医薬品名は、取引上、右末尾部分を省略して、語幹部分のみで称呼される慣例が存在し、特に語幹部分が三文字以上のものについては古くからかかる慣例が存在すると主張するが、本件全証拠を検討しても、かかる慣例の存在を認めるに足りる証拠はない。さらに、引用商標の要部である「マスチゲン」についてこの点を具体的に検討するに、確かに、「マスチゲン」の語が「増血」に由来する「マスチ」と「元」に由来する「ゲン」からなるものとして作られた造語であることは、前記認定のとおりであり、右の各構成文字が有する意義からみて「マスチ」が語幹部分を成すものということができる。そして、いずれも成立に争いのない甲第二九号証の一ないし五〇、同第三〇号証の一ないし一一、及び同第三一号証の一ないし二五によれば、原告が「マスチゲン」の名称で製造・販売している各種医薬品には、「増血剤」ないし「増血」に適用を示す旨の記載がある医薬品が多数存することが認められるところである。しかしながら、本件各引用商標においても、右各商標の構成それ自体の中には「増血」の文字が含まれていないことは、右各商標の構成自体から明らかである上、前掲各甲号証によれば、例えば、「マスチゲン総合感冒カプセル」(甲第二九号証の二七)や「マスチゲンゴールド」(同第二九号証の三〇)等の医薬品においては全く「増血」の記載がないことが認められる。のみならず、本件全証拠を検討しても、「増血」の語を「マスチ」と読む読み方が一般的であると認めるに足りる証拠はなく(因みに、手近な国語辞典によるも、「ますち」、「マスチ」なる項目はなく、また、「増血」を「マスチ」と読むことを示したものは見当たらない。)、さらに、前掲甲第二九号証の一ないし五〇、同第三〇号証の一ないし一一及び同第三一号証の一ないし二五によるも、「マスチ」が「増血」に由来することについての説明がないことをも勘案すると、前記の語幹部分の「マスチ」が「増血」に、「ゲン」が「元」に由来することを、「マスチゲン」の商標を付した医薬品等の取引者、需要者のうちその多くの部分を占める購入対象者である一般大衆(この点は、当事者間に争いない「マスチゲン」の商標を付した医薬品が増血・栄養補給剤及び感冒薬であるとの事実及び原告が右医薬品の宣伝広告を新聞、ラジオ、テレビ等で頻繁に行ったとの事実から優に推認可能である。)が、一般的に認識し得たものと推認することは到底困難といわざるを得ず、他にこれを認めるに足りる証拠もない。なお、弁論の全趣旨により成立の認められる甲第六二号証によれば、「マスチゲン」のラジオ放送における宣伝において、落語家の柳家金語楼が「チッ、チッ、血を増す、マスチゲン。」とコマーシャルソングを歌った事実が認められるが、この事実から、「マスチ」が「増血」に由来するとの認識が広く一般に浸透したとまで認めることは困難といわざるを得ない。また、前掲甲第六号証、同第八号証、同第九号証及び同第一八号証の各書物が、通常、一般大衆の目に触れる書物でないことは右各書物の内容及び性格に照らして明らかというべきである。
このように、「マスチゲン」の商標を付した医薬品の購入対象者である一般大衆が「マスチゲン」が「増血元」に由来する造語であると理解していたものとは認め難いのであり、現に、原告主張のように、本件各引用商標に係る医薬品名が「マスチ」と称呼された事実は後記「マスチゲンB12注」を除き、これを認めるに足りる証拠もない。かえって、「マスチゲン」は、さして発音しにくくない五音からなり、全体としてまとまりのある滑らかな語調を聴者に与える点に称呼としての構成上の特徴を有するものと認められるのであり、かような事実を勘案すれば、殊更これを二分し、末尾部分の「ゲン」を省略し、語幹部分の「マスチ」のみを称呼する慣例の存在はむしろ否定せざるを得ないものというべきである。
この点について、原告は、前記慣例の裏付けとして、原告の製造・販売に係る「マスチゲンB12注」なる注射薬については、昭和三一年から同五九年まで、健康保険の診療報酬請求及び支払の事務手続上、これを「マスチB12」と表示することが認められてきた事実(この事実は当事者間に争いがない。)を主張するが、本件全証拠を検討しても、右の「マスチゲンB12」を除き、「マスチゲン」の商標を付した原告の製造、販売に係る医薬品を「マスチ」と略称した事例を見いだすことができないことは前記のとおりであり、したがって、「『マスチB12』の略称は、『マスチゲン』の文字を含む商品名を付した原告の製造、販売に係る医薬品名を『マスチ』と略称する実務慣例を取り入れたものである」との原告主張は、その前提において失当といわざるを得ない。「マスチB12」の略称は、健康保険における診療報酬請求の事務手続の簡素化、迅速化の要請に応えるべく、特に「マスチゲンB12注」のために採用されたものと認めるのが相当であり、この略称使用の事実をもって直ちに原告主張の慣例の裏付けとすることはできないものというべきである。このように、「マスチゲン」が前記のような各構成語からなる造語であっても、その末尾部分である「ゲン」が省略されて語幹部分のみで称呼されるとする慣例は認められないのであるから、右慣例に基づいて前記の語幹部分と慣用的に付される末尾部分とを区別し得るとして、「マスチゲン」が「マスチ」と称呼されるとの原告主張はその前提を欠くものであり、「『マスチゲン』が二音節の構成からなるものともいいがたい」との審決の判断を誤りとする原告の主張も理由がないことに帰する。
(二) 原告は、「マスチゲン」について「マスチ」と略称される可能性のあることは、「マスチB12」の例から充分に認められるところであるとし、かかる場合には、その可能性を生ずる部分について商標の類否を論ずることは許されると主張する。しかし、健康保険の診療報酬請求の事務手続において、「マスチゲンB12注」を「マスチB12」と略称することがあったことは前記のとおり当事者間に争いがないが、右略称の使用は取引とは直接関わりのない、健康保険の診療報酬請求手続における要請に基づくものであるから、右略称が使われているとの事実から、直ちに取引の場においても「マスチゲン」が「マスチ」と略称される可能性があるとすることはできないものというべきである。よって、この点に関する原告主張も採用できない。
(三) 以上の次第であるから、本件商標と本件各引用商標が、称呼において非類似であるとした審決の判断を非難する原告の主張はいずれも失当であり、右判断に原告主張の誤りはないというべきである。
2 本件商標と本件各引用商標の観念の類否について
(一) 以上述べたように、本件各引用商標の要部である「マスチゲン」は「マスチ」と略称されるものと認めることはできないのであるから、「マスチ」のみを抽出することなく、「マスチゲン」と一体として把握した場合において、本件各引用商標が観念を有するか否かを検討すべきことになる。そして、ここにいう観念とは、類否判断要素としてのものであるから、多くの取引者、需要者がその商標自体から直ちに一定の意義を想起させるものであることを要することはいうまでもないところ、「マスチゲン」が「増血元」に由来するとはいえ、この点に関する認識がその主たる取引者、需要者である一般大衆に浸透していたとの事実を認め難いことは前記1、(一)に認定したとおりであるから、本件各引用商標に接した一般大衆が直ちにその由来を想起するものということはできないのである。そうであれば、審決が判断するように、「マスチゲン」を観念を有しない造語として扱うほかないのであり、本件商標の有する観念について検討するまでもなく、本件各引用商標と本件商標とを観念において対比することはできないというべきである。
(二) 原告は、「マスチゲン」が造語であるとしても、原告の製造・販売する「増血・栄養剤」の商標として著名であるから、その語幹部分である「マスチ」により「原告の製造・販売に係る増血・栄養剤」ないし「原告の製造・販売に係る商品」が連想されるとともに、本件商標が使用される商品につき、その語幹部分である「マスチ」により原告又は原告と何らかの関係を有する者の取扱いに係る商品であるとの連想を生ずるので、本件各引用商標と本件商標とは、観念において類似すると主張する。そこで検討するに、「マスチゲン」が、本件商標の出願当時、原告の製造・販売する「増血・栄養剤」の商標としてその著名性を確立していたことは後述するとおりであり、この事実からすると、「マスチゲン」の商標から原告主張のような「原告の製造・販売に係る増血・栄養剤」ないし「原告の製造・販売に係る商品」を連想することは肯認できないことではないというべきである。
しかし、右の連想は本件各引用商標に係る医薬品の取引実績から生じたもので、商標法四条一項一〇号あるいは一一号における商標の類否の判断要素としての商標自体から生ずる観念とは異なるものというべきであるから、右の連想を商標の有する観念と同視している点において既に原告の主張を採用することができない(この点は、商標法四条一項一五号の適用として問題となる余地があるにすぎない。)。
なお、仮に、商標法四条一項一〇号あるいは一一号の類否の判断において、取引実績から生じる原告主張の前記の意味における連想が観念として問題になるものとしても、以下に述べるとおり、本件商標から原告主張の前記連想が想起されることはないから、両者がかかる意味における観念においても相違することは明らかである。
すなわち、本件商標の構成からして「マスチ」がその語幹部分をなすことは後述するとおりであり、著名商標である「マスチゲン」と語幹部分を共通にすることから、本件商標についても、原告主張の前記の連想が想起されるものとすれば、両者は観念において同一であるといえなくもないところである。
そこで、本件商標から原告主張の連想が想起されるか否かについて以下検討するに、まず、本件商標の観念についてみるに、いずれも成立に争いのない乙第一〇号証及び同第一二ないし一四号証の各一ないし三及び弁論の全趣旨によれば、本件商標は、乳腺炎ないし乳房炎の意味を有する「mastitis」の語と放線菌から得られた抗生物質を表す「mycin」の語から作った造語であることが認められ、他にこれを左右する証拠はない。しかして、引用商標から生ずる前記連想が現実の取引実績に基づくものである以上、本件商標についても現実の使用態様を検討することが必要であるところ、後述するように、本件商標に係る医薬品は抗生物質及び抗生物質製剤として要指示薬であり、その使用の可否ないし要否は、医療専門家である医師の決定に従い、患者が右薬剤を調剤薬局等で入手して使用するものであり、一般医薬品と同様に自らの選択においてこれを直接購入することはない。このような本件商標に係る医薬品の適応対象及び入手経路に照らすと、本件商標における観念を想起する主体としては、本件商標に係る医薬品の使用の要否を決定する医師を基準とすべきものである。そうすると、前記のとおり大衆薬としての性格の濃い「マスチゲン」と本件商標を対比してみると、たとえ、「マスチゲン」から前記のような連想が生ずるとしても、本件商標に係る医薬品の前記のような特質に照らすと、医療専門家である医師が、「増血・栄養剤」である「マスチゲン」に基づく前記の連想を、語幹部分が共通しているとの一事から、本件商標に係る医薬品についても想起するものとまで認めることは困難であり、本件全証拠を検討してもこれを肯認するに足りる証拠はないというべきである。
そうすると、商標法四条一項一〇号あるいは一一号において問題となる観念につき、原告の前記主張のような考え方を前提としても、両者は観念において類似するとはいえないから、この点に関する原告の主張は採用できない。
(三) 原告は、「マスチゲン」、「MASTIGEN」、「Mastigen」の各文字を要部とし、末尾に接尾語部「ゲン」を有する本件各引用商標、並びに「マスチマイシン」の文字を要部とし、末尾に接尾語部「マイシン」を有する本件商標を各指定商品に使用した場合には、右語幹部分である「マスチ」の部分に、取引者・需要者の注意と関心がひかれ、右語幹部をもって商品が連想されるから、両商標は観念の混同を生ずることは明らかであるとし、審決が、本件各引用商標から殊更「マスチ」、「MASTI」、「Masti」の部分を抽出して観察しなければならない格別の事情はないとする点を非難する。
しかしながら、「マスチゲン」を要部とする本件各引用商標は、これを特に語幹部分の「マスチ」と末尾部分の「ゲン」に分け、あるいは右末尾部分の存在を無視して「マスチ」にのみ取引者・需要者の注意と関心が引きつけられると解する根拠がないことは、既に述べてきたところであるから、原告の右主張はその前提を欠くものであり、採用できない。
(四) 以上の次第であるから、本件商標と本件各引用商標が、観念において非類似であるとした審決の判断を非難する原告の主張はいずれも失当であり、右判断に原告主張の誤りはないというべきである。
三 取消事由(2) について
1 本件各引用商標の著名性について
成立に争いのない甲第二八号証によれば、原告は、昭和一五年に「マスチゲン(錠)」及び「マスチゲン(末)」を発売したのを最初として、昭和二〇年代には六種類の、同三〇年代には一一種類の、同四〇年代には九種類の、同五〇年代には二種類のいずれも「マスチゲン」の名称を付した新たな医薬品を製造・販売してきた事実が認められる。そして、原告が、これらの「マスチゲン」の名前を冠した医薬品の販売を促進するために、請求の原因三、2、(二)に記載の日刊新聞、ラジオ、テレビ等による各種の宣伝活動を行った事実並びに「マスチゲン」及び「Mastigen」の各商標が請求の原因三、2、(三)に記載の各書物に有名商標として掲載されている事実はいずれも当事者間に争いがない。
これらの事実によれば、「マスチゲン」は、本件商標の登録出願時及び査定時において、原告の製造・販売に係る「マスチゲン」の名前を冠した前記のような一連の医薬品を示す極めて著名な商標として広く一般大衆に認識されていたものということができる。
2 そこで、以上の事実を前提として、本件商標が「他人の業務に係る商品と混同を生ずるおそれがある商標」に該当するか否かについて検討するに、本件商標は、既に認定したように、「マスチ」を語幹部分とし、これに放線菌から生ずる抗生物質であることを示す「マイシン」を結合して成るものであるところ、前記のように、相当数に上る一連の「マスチゲン」を冠した原告の製造・販売に係る医薬品が「マスチゲン」の名称によって原告に帰属するものと認識されているという取引状況のもとにおいて、本件商標を付した医薬品をみると、右の語幹部分が共通することから、本件商標を付した商品に接した取引者・需要者は、原告の製造・販売に係る「マスチゲン」を冠した医薬品を連想し、その結果、特段の事情がない限り、原告の右一連の医薬品と姉妹商品の関係にあるものと考えるであろうことは容易に推測し得るところである。
そこで、右特段の事情の存否について検討するに、この点について被告は、本件商標はこれを付した医薬品が抗生物質であることを示しており、抗生物質は医師によって使用されるか、あるいは医師の処方せん若しくは指示によって使用されるべきものとされている「要指示医薬品」であるため、原告のマスチゲンを含む名称で販売された大部分の一般向薬品と取引ルートを異にするという根本的な相違があるから、出所の混同を生ずる余地はないと主張する。
そこで検討するに、本件商標は、抗生物質及び抗生物質製剤を指定商品とするものであるが、薬事法によれば、厚生大臣の指定する医薬品については、医師等の処方せんの交付又は指示を受けた者以外の者に販売、又は授与してはならないものと規定されている(同法四九条)ところ、本件商標に係る抗生物質及び抗生物質製剤である医薬品が右の指定医薬品に該当するものであることは原告においても明らかに争わないところである。してみると、本件商標を付した医薬品の使用を決定するのは医師等であり、患者等の最終需要者は右医薬品の購入に対する経済的対価を支払うにしても、医師の右決定に従い、右医薬品を使用するにすぎないという立場にあるものというべきである。ところで、一般的には経済対価を支払う者が商品の選択・決定権を有するのであるから、商標法四条一項一五号の「混同を生ずるおそれ」のある主体とは、これらの取引者・需要者をいうものと解されるが、本件商標に係る医薬品のような要指示医薬品にあっては、最終需要者は医師から指示を受けた場合にのみ購入するもので、他の医薬品と自ら対比してこれを選択し決定する余地がないのであるから、右の選択・決定権を有する医師等を前記の主体として考えるのが相当というべきである。そこで、医師等の立場においてみた場合、本件商標を付した医薬品と「マスチゲン」の商標を付した医薬品とが出所の混同を生ずるおそれがあるか否かについてみるに、「マスチゲン」の名称を含む多数の医薬品は、増血・栄養補給剤及び感冒薬である(この点は当事者間に争いがない。)のに対し、既に認定のように本件商標に係る医薬品は乳腺炎等を対象とする抗生物質であるという医薬品の適応疾病及び性格において相当の違いがあり、また、後者は前記のとおり医師等の指示を要する医薬品である点においても差異があることなどを考慮すると、医薬品の取扱いにおいて極めて慎重さが要求される医師が、両者を混同するおそれがあるとすることは困難であるといわざるを得ない。
そうすると、右に認定の特段の事情が認められる本件においては、本件商標を付した医薬品に接した取引者・需要者において、原告の製造・販売に係る「マスチゲン」を冠した医薬品と姉妹商品の関係にあるものと考えるであろうと推測することは困難といわざるを得ない。
3 原告は、別表第三記載の○印を付した医療用医薬品も本件商標を付した医薬品と同様の販売経路をたどるものであり、また、同表において○印の付されていない「一般用医薬品」は、製造業者から医薬品問屋、さらに薬局薬店を通じて販売されるなど、引用商標を使用する原告の製造・販売する医薬品と「抗生物質製剤」とは、販売経路を共通にする場合が多いから、そのため商品の出所について混同を生ずるおそれがないとはいえないと主張する。
そこで検討するに、各成立に争いのない甲第七四号証の一ないし五によれば、医療用医薬品とは、医師若しくは歯科医師によって使用され、又は、これらの者の処方せん、若しくは指示によって使用されることを目的として供給される医薬品をいい、薬価基準に収載されている医薬品は医療用医薬品とみなされることが認められるところ、各成立に争いのない甲第三二号証の一ないし一三によれば、別表第三記載の○印を付した医薬品は医療用医薬品であることが認められ、これらの事実によれば、医療用医薬品である右○印を付した医薬品は、医師等の指示を要する医薬品であるという点において本件商標の指定商品である抗生物質及び抗生物質製剤と同様の取扱いを受けるものであり、その意味において、原告主張のように本件商標の指定商品と販売経路を共通にするものということができるものである。しかしながら、このように販売経路を共通にするとしても、このことが、直ちに本件商標に係る医薬品の使用を決定する医師等において、「マスチゲン」の商標を付した医薬品と本件商標を付した医薬品とを混同するおそれを生ずるとの理由を見出すことはできないから、原告の右主張は採用できない。
また、原告は、抗生物質製剤であっても告示一項柱書の但書に定められたものは要指示薬から除外されるから、かかる抗生物質製剤は一般医薬品と同様の経路で販売される結果、商品として誤認混同が生じるおそれがある旨主張する。確かに、本件商標は「抗生物質及び抗生物質製剤」という包括的な形で商品を指定しており、一見、告示一項柱書の但書により要指示薬から除外された抗生物質製剤をもその指定商品に含むかの如くであるが、前記のように、本件商標の「マスチマイシン」が乳腺炎ないし乳房炎治療用の抗生物質を意味する造語であることに照らせば、本件商標の指定商品としての「抗生物質及び抗生物質製剤」とは右のような乳腺炎ないし乳房炎治療用のものを予定していたものと推認され、このことは医師として容易に理解し得るものということができる。しかして、乳腺炎ないし乳房炎治療用の抗生物質製剤なる医薬品があるとしても、それが告示一項柱書の但書による除外医薬品に該当するものと認めるに足りる証拠はないし、また、被告が本件商標を付した除外医薬品である抗生物質製剤を現実に製造し、販売したことを認めるに足りる証拠もない。
したがって、「マスチゲン」の商標を付した医薬品と本件商標を付した抗生物質製剤が一般大衆を販売対象者とする意味での販路を現実に共通にしていたものということはできず、この点に関する原告主張は採用できない。
このほか、原告は、医師の処方せんによる場合であっても、医師の処方せんは多くの場合走り書きである等の事情に照らすと、処方せんを受け取る薬局の担当者において、名称の類似する医薬品と誤認・混同する可能性を否定することはできないし、医師が処方せんの医薬品名を略称をもって記載する場合には、その可能性は益々大きいと主張する。しかし、かかる問題は医師の処方せんの記載方法に起因する問題であって、商標それ自体の類似性に起因する混同の問題ではないから、原告の右主張も採用できない。
4 以上の次第であるから、商標法四条一項一五号に該当しないとした審決の判断に原告主張の違法はないというべきである。
四 よって、本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 松野嘉貞 濱崎浩一 田中信義)
別紙第一ないし第三表<省略>